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コラム May 2014
May.01 2014
Thu May 01 2014 00:00:23
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コラム May 2014


システム May 9 2014


システムと魂、この対比を使って色々話をする事が多い。例えば自分たちを考えてもらいたい。

人間の身体は極めて精密なシステムで出来上がっている。一つ一つの細胞がその役割を果たし、臓器や皮膚や筋肉や骨になり、それらが連携し、血液を循環させ、身体を支え、動かし、考えている。とても素晴らしいシステムだ。しかし、それだけで人間は人間なのだろうか? できている素材は違うがロポットも同じ事で、様々なパーツが連携し仕事をこなす。

では、何が人間とロボットを隔てているのか?それは衝動だと思う。今日何を食べようか?どんな服を着ようか?この人が好きだ。空が美しい。様々な行動に発展するべく起こる感情を私たちは呼び起こしている。これを魂、又はインスピレーションと呼ぶのだと思う。ある人は情緒と呼ぶのかもしれない。  まあ、呼び方は何でもいいが、理屈ではない、どこから来るのかわからない衝動が私たちを自主的に動かしているのは間違いない。この二つがうまく絡み合い人間というものが存在している。

社会も同じ事で、社会の仕組みというシステムが人間の共同体としての幸せを可能にする為に機能している。と言いたい所だが、いつの時代もそうとは言えない。最初は人間の幸せの為に始まるシステムもいつの日か、システムの存続の為に人間を奴隷化して行く。人々に対する平等や不条理の是正の為に起こった革命も、それが成功し、その状態を継続する為に作られる組織が、いつのまにか、当初の人々の想いを超越し始め、結局は打倒したシステムと同じ理不尽なシステムが出来上がるというのを何度も見ているはずだ。 宗教も同じで、愛や慈悲を説いた開祖の教えを体系化し、組織化することにより、当初の教えを超えて絶対的な権威や上下関係が幅を利かせ、愛とは正反対の強制がはびこり、終いには暴力と殺戮にまで発展してしまう。これはどんな時代にもどんな社会にも繰り返し行われて来た事である。

現代を見てもそうだろう。企業というシステムの存続の為に、ありとあらゆる法律が改正され、人々の権利や平等性が浸食されている。その結果、効率化の名の下に人間性というものは踏みにじられ、途方もない苦しみが世界に生み出されていても意に介さない様な社会が形成されている。

元々システムというものは道具であるべきものだ。人間の幸せのため、心の声の実現のために機能する筈の道具なのに、道具の存続の為に人間が不幸になり、心の声を殺してしまっているのではないだろうか? 誰もが必要がないと思っている戦争は、軍事産業を存続させる為に終わらない。原発もしかり、地球温暖化もしかり、ありとあらゆるものがこのジレンマによるものだと思う。

では、何故こんな事になってしまうのか?何故、私たちはシステムに蹂躙されてしまうのか?簡単に言うと、自分が信じられないからだと思う。もっと言うと自分に正直になる勇気と自信がないんだと思う。自分の心の声に忠実になる前に思考停止を装い、隣の人間がやる事、言う事に寄り添っていた方が楽だからだ。その隣人も、そのまた隣人の行動に寄り添っているだけだとも知らずに。まあ、言うのは簡単だが、実際自分に正直に行動するというのはなかなか難しい。やっぱり怖い。孤立するのは誰もが怖い。だから、周りの人間に流されてしまう。つまり、それがシステムであり、そのシステムの鎖に繋がれ奴隷になってしまう。そのうち、その隷属に慣れてしまい、自分の人間性を放棄し、信じられない様な残虐行為に加担して行く。ありとあらゆる国家や軍隊や組織が犯して来た犯罪を見ればよくわかる。

結局の所、このシステムというものはなくならないんだと思う。身体がなくなったら私たちが存在できないのと同じように。私たちが共同体として存在する以上、なくなるものではない。ただ、私たちはシステムを信奉するばかりに一つ忘れている事がある。それは私たちの命自体がいつかなくなるということだ。このシステムを可能にする私たちの身体がいつかなくなってしまう。それどころか人間という種の存在自体が後1000年持つのかも怪しい。つまりこのシステム自体もいずれかは存在しない。であれば、今、ここで魂を解放してもいいのではないだろうか?少なくとも、同じ限られた人生を生きるのであれば俺は正直に生きてみたい。限りある存在であるが故にシステムの奴隷になるのではなく、自分を生きたい。

なんだかんだ言ってみたが、結局は、好みの話になってしまう。だってそこには理屈はなく、衝動しかないのだから。